リニューアルグランドオープンセール

昔から「冬来たりなば春遠からじ」という言葉が好きである。

ここまで書いて思い出したのだが、昔の記事の書き出しはこんなものだった。

止まない雨はないというけれど、それはただ人がそう願うというだけのことであって、例えば雨の最中に命を終えた人間からすれば、その雨は止まなかったのである。

全否定だ。そういう時期が誰にでもある。

さらに改めてこの言葉を検索にかけたところ、関連キーワードに「コロナ」と出てきた。そんな使い方をされてしまってはもう終わりである。言葉が帯びていた情趣は完全に消えた。えらく買い叩かれてしまったものだ。

ちなみにこの書き出しを選んだのは、季節として「春が来れども」「春が暮れども」願うような「春」は訪れない気がしている、といういかにも僕好みの掛け言葉が思い浮かんだからである。もれなく僕も薄ら寒い用法をする一人なのであった。

 

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こんな時世の中で最も盛り上がっているものといえば、近所のスーパーで行われているリニューアルグランドオープンセールである。それはそれは、紛うことなき祭りである。今しがたリニューアルグランドオープンセールから帰ってきた僕が言うのだから間違いない。

そのスーパーは普段から華々しいポップと絶え間ない店内放送で溢れ、いつでも祭りのような装いなのではあるが、そんな店でリニューアルグランドオープンセールが行われるとなったらもう尋常ならざる様相を呈する。近隣のイオン系列店の追随など一切許さない(あるいはイオン系列店にはそもそもそんな意思はないように思われるし、そうしたマイペースな雰囲気が好みなので普段はイオン系列を利用している)。

そもそも店の入り口からやる気が違う。建物の前の道路に商品がいくらか展開されているのは以前からそうなのだが、今回は量が違う。いろんな葉っぱの類いがずらっと横並びになっているし、アホほどイチゴが積んである。その陳列の仕方たるや、防犯意識の欠片も感じさせず、商魂一本勝負といった感じである。凄い。そこだけで20人以上の人がごった返していたように思う。僕はリニューアルグランドオープンセールプライスの新じゃがを手にとって店内に入る。

店内はリニューアルグランドオープン以前よりも少しだけ綺麗になっていたが、相変わらず商品がたくさん並んでゴチャゴチャしており、さながらドンキかヴィレヴァンのような独特の趣を感じさせる。そこに数十人体制のレジ打ちとレジ整列をする店員、各売り場で声をあげる店員、その他大勢の客。これほど多くの人々がそれぞれの生活を剥き出しにして交わる空間は、特に最近ではあまりに刺激的だ。自然と心が躍り、思わず商品に手が伸びる。僕が肉をカゴに入れる横では、別の客が別の肉を手に取っている。彼は近いうちにそれを食べるだろう。それだけのことが何故だか僕を楽しませる。なんだか上手いことできている。

海鮮コーナーでパックに詰められた海老が売られていたのだが、そのうちの何匹かはまだぴちぴちと跳ねていた。パックには「活き物」と書かれたシールが貼ってある。それだけ新鮮なものを揃えたリニューアルグランドオープンセールの熱意は感じるのだが、生きたままの「生き物」が「活き物」とされてしまう残酷さには笑ってしまった。あれを粋な洒落だと思っているなら考え直したほうがいいだろう。

続く冷凍食品コーナーでは冷凍ピザが百数十円で売られていた。さすがに安くし過ぎだろうと思ったのだが、ポップには「入荷担当者の本気」みたいなことが書いてあって、なるほど本気を出せばそうなるのかと思った。そういえば人の本気を目の当たりにしたのは久しぶりかもしれない(そうそう人は本気になるものではない)。スーパーは人の本気を感じられるよい場所である。

酒類コーナーでマイクを握り店内放送で宣伝を続けるお兄さんはとても楽しそうにしていた。それはリニューアルグランドオープンセールのお祭り騒ぎもあるのだろうが、リニューアルグランドオープンセールほど安くよい物を売っていればそれは楽しい気分にもなるのかもしれないと思った。少しだけ自分もやってみたいと感じたが、まあできないだろう。自信を持って何かをおすすめする楽しさは新歓にも通じる。今思えばあのお兄さんは実は労働にうんざりしていたのかもしれないが、それもまた新歓に通じる。

 

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そういえば以前にも買い物に行っただけの体験をブログに書いた気がする。相変わらずそんなことが刺激になる悲しい生活を送っているのかもしれない。まあそんなことはどうでもいいのだが。


宣言が伸びたら嫌ですね。体育館の予約を取ってはキャンセルというのをしばらく繰り返していますが、なんだか穴を掘っては埋めさせられるのと似てませんか?似てません。

会わない期間が長引くと人を遊びに誘うのにもビビってしまうのですが、僕はあまんぐあすがやりたいです。