ひたすらに床を拭いていた。平日の昼下がり。
一度気になったことは放っておけない質だ。大会前は部屋の掃除を怠りがちであったから、これから隅々まで綺麗にしていこうと思っていた。昼飯を食べているとき、足元の床がどうも綺麗ではないことに気がついた。これは放っておけない。
電子レンジの横に、すっかり乾燥してしまった使い捨ての掃除シートがあった。まあこれを濡らして使えばいい。
ひたすらに床を拭いていた。意外と手強い。
机の上に置いたパソコンから授業の音声が流れている。点数も単位も必要ないので程々に聞き流している。「我々は結局のところ利己的でしかありえないのか。」そういえば二年前の記事でそんなことを書いていた。意外と関心は一貫しているのかもしれない。
少なくとも三年半の間、僕はどこまでも僕のために頑張っていた。
ひたすらに床を拭いていた。なるほど、少し爪を立てると汚れが落ちる。
数日が経ったが、あのミスが何だったのか未だにわからない。恐らくわかることはない。自分らしいと言えばそうだが、そんな結末はあんまりだ。
「こうすべきだった」などと安易に言いたくはない。全力であったことに疑いはないから、そんな後出しじゃんけんは過去の自分に対して失礼極まりない。理論上ほかに為しうることがあったということは、実際にその選択を取りえたことを必ずしも意味しない。選択は何も真っさらなところから始まるのではなく、積み重なった全ての上から始まるのだから。
ひたすらに床を拭いていた。
汚れは落ちたが、少しだけ爪の痕がついてしまった。報われない。
しかし汚れてクシャクシャになった3、4枚のシートを見て、悪い気はしないのだった。
「この論点はこれぐらいにして、次にいきましょうか。」
終わりそうで終わらない。まだ続いている。