正月のピクニック

正月が終わろうとしていた。今年は諸事情から東京の家に一人でいた。それらしいことは何もしていなかったし、何も感じていなかった。

大した料理はない。はがきは書いていないし届いていない。せめて雰囲気だけでもと思いつけたテレビは、広告を飛ばせないことに気がついてから5分と経たずに消してしまった。

いくらかの事務作業を片付け、思い出したようにドイツ語の単語帳を目でなぞり、積んである本を読み進めたところで48時間が過ぎた。


ピクニックに出かけることにした。

それも深夜のピクニック

特に理由はなかったが、そうと決めたら迷いはなかった。行き先は最寄駅の高架を眺められる階段。これもすぐに決まった。遠出するのは面倒だし、近所に座れる場所なんて階段くらいしかないから。人通りのない時間に行けば迷惑にはならないだろう。

 

・・・


1月3日、午前3時。

夜は目を覚まし静かに最高潮。

洗面所で顔を洗う。多少の眠気はあるが心は躍っている。鏡を覗くと、どうも髪型が気に食わない。昔から自分の髪型に納得したことはないのだけど、別にこだわりがあるわけでもない。


ピクニックの醍醐味といえば目的地での食事に違いない。

しかし手軽に持っていけそうなお菓子が見当たらない。部屋中探したがどこにもない。仕方がないので専用の容器に切り餅と水を入れ、電子レンジにつっこむ。時間は1分40秒がベスト。経験則。その間にタッパー(小)にきなこと砂糖を適量入れて混ぜる。久しく使っていなかった水筒を棚から引っ張り出し、なぜか冷蔵庫に入っていた炭酸水と桃のリキュールを入れる。濃い目に作ってしまったが今日は許される。ちょうどよく電子レンジが鳴り、手際よく湯を切り、餅を転がす。リュックに詰めて、準備完了。


玄関を出るといよいよ胸が高鳴った。

不埒、不摂生の大行進。僕の後ろには1分40秒で実現するささやかな幸せがついて来ている。遠足に出かける少年のように、あるいは世間への反抗を叫び練り歩く青年のように。「意味」を脱した21歳の足取りは勇ましい。


寒くないと自分に言い聞かせるうちに寒くなくなった。思っていた通り、相変わらずこの街は夜でも明るく人はいる。カラオケから半袖の若い男が一人で出てきた。マックは閉まっていたが建物の電気は1階から3階まで全部ついていた。楽器を背負って歩く4人組が楽しげに話していた。


それら全てと関わってみたかったが、そんな時間はない。餅が冷める。歩を進める。

出発から2分、目的地到着。

誰かいるかもしれないと思っていたが付近に人の姿はなかった。ときたま遠くから酔いどれの咆哮が聞こえるくらい。ちょうどいい。


階段の一番上に座るとちょうど目線の高さに線路が走っていた。高架下ならぬ、高架横。明日にはこれに沿って朝練に向かうのだろう。冷たく、固く、厳然たる佇まい。でかい建築物を間近で眺めるのが好きであることに最近気がついたのだが、きっと自分ではどうにもできないところに惹かれるのだろう。それを前にしては、自分が変わることでしか関係は変わらない。


正月の暗がりに浮かび上がるきなこ餅。艶。

餅を食べようとして気がついたが、この状況なら堂々とマスクを外せる。たまらず深呼吸をすると、肺で直に冬を感じる。今やこうして外で直接空気を吸い込むことにすら、道徳に背く喜びを覚える。お手軽な高揚感。幸せの国。


少しいそいそと餅を食べた。さすがに階段に座ってタッパーを手に持っていることへの恥じらいを無視できなかった。

しかし本物の背徳は水筒に注がれた酒にある。これほど著しく品性を欠いたお酒の飲み方をしたことがない。しかもはたから見れば何を飲んでいるかなんてわからない。最強。

一口飲むたび、反道徳の味に視界が痺れる。

 

・・・


特に何をするでもなく、何が起きるわけでもなく、家に帰り着いたときには5時になっていた。風呂に浸かると最高に温まった。またこの槽に戻された。


前から少し憧れていた。平日のまだ日も跨がない頃から高架下の地べたに座り、酒を仰ぎ談笑する人たちのあり方に。しかし到底彼らには敵いそうにない。反道徳は道徳のあるところでしか成り立たない。彼らはそもそもそうした枠組みの中にいないように思われる。僕が噛み締めた昂りは、そのまま僕の愚かさであった。


部屋を出たことには意味があった。

しばしば同じ日々の繰り返しは否定的に捉えられ、「昨日とは違う今日の自分」みたいなことが言われるわけだけど、このピクニックの中には過去も未来もなかった。そういう連関のない、ただ現在を享受するだけの時間。普段の生活では未来に向けて現在を加工していくことに慣れきって、もはやそういう考え方しかしていないこともままあるけれど、それが唯一の正解ではないことは言うまでもない。


自分ではどうにもできないものを前にして、どう構えるか。普段使いの時間を捨て、それでいて全てを放棄するわけでもなく。