そのときはそのとき

 

最近はえらくお気楽に生きていることに気がついた。全てのことはなるようになるし、どうにもならなかったらそのときはそのとき、といった具合に。およそこのままではどうにもならない未来のほうが近いのだが、それはそれで「人間」という感じがしてよいとすら思っている。

おそらく去年の中頃からこんな感じなのだけど、その前までは真反対の心持ちで過ごしていたような気がする。しかしそこで起こったことはパタっと矢印がひっくり返るような転換ではなくて、むしろ地続きの必然的な成り行きだった。一方向に真っ直ぐ進んでいるのだけど、それが極まってくると背景の方が反転しまった、というような。

 

全ての根は「望んで生まれてきたわけじゃないのにどうしてあと数十年も生きなきゃいかんのだ、面倒だ」というところにある。将来を考え始めた高校生の頃に感じるようになって、大学に入ってからも根底にあり続けたもの。この途方もない理不尽といかに対峙するか。

「そんな面倒なこと考えずに真面目に生きろ」というのは尤もな意見であって、あるいは正攻法ですらある。なぜなら生まれてしまった過去は変えられないのだから、何を考えたって仕方がない。そんな理不尽には真正面から対峙しない方がいい。何かしら目的を見つけて面倒だと感じなくすること、理不尽を理不尽ではなくすこと。背を向けるという正攻法。

しかしまあそこを上手くできずに悲観的になってしまったのであった。悲観的というより無気力だろうか。納得できないままでは歩き出す気も起きないのだ。

 

ところで先から話題にしている理不尽はどのような意味で理不尽なのか。

「望んで」生まれたわけじゃないのに何故生きなきゃ「いけない」のか。これは自由意志と責任についての考えに関わっている。一般に「自分の意志で行ったことについては責任を負わなければならない」と考えられているし、社会の制度もそのようにできている。そこでは「自己統制的・理性的な行為主体」という主体観が前提にある。理性的に思考する能力があって、自分のことは自分で決められるのだから行為には責任を持ってねということであり、逆にそうした能力が欠如している場合には例えば責任能力がないとして刑罰に値しないとされたりするのである。

したがって問題となっている理不尽は、生まれてきたことは自分の自由意志によるものではないのだから生きる責任はないのではないか、それなのに生きなきゃいけないのは理不尽ではないか、ということである(別に生きなきゃいけないことなんてないでしょ、というのはあり得る意見だが、社会通念として死ぬより生きるほうがよいとされていることはあらゆるところに表れているし、個人の視点でも気づいたときには死ねない理由ができてしまっているものである)。

 

ではそもそも「自己統制的・理性的な行為主体」という前提は妥当なものか。

おそらく全く間違いであるわけではないが、人間の能動的な側面を強調しすぎているだろう。人はいろんな次元で受動的な在り方をしているように思う。それは生まれたという事実そのものや、どのような時代や環境に生まれ、生きていくかという広い意味に限らない。日常的な行為について考えてみても、行為の結果については偶然や運が必ず絡んでくるし、そもそも自分で生み出したと考えている意志でさえ外部の影響を受けていないということは決してない。思っている以上に、自分のことの中には自分ではどうにもならない領域がある。そういう受動的、偶然的な要素がある。

それらどうにもならないことも含めて自分として引き受けることの中にこそ、かろうじて生きがいのようなものを見出せるのだとは思うが、ここでは一旦主体観の話に戻る。要するに、自己統制的・理性的な行為主体という前提は、実際の人間の在り方よりも強い人間像を提示しているし、また社会のシステムからして我々(少なくともかつての僕)の認識に刷り込まれている。その結果、自分のことを実際よりも強いと勘違いしてしまうことで、弱さの現実に直面したときに(例えば自分で選択したわけでもないのに生まれてきてしまった事実を痛感したときに)それを理不尽だと感じてしまう。しかし実際のところは、本来的に受動的で弱い存在なのではないかと思うわけである。

 

ここまで至ると、行く先は二つ思い浮かぶ。

ひとつは、そんな本来的に弱い存在である人間として生まれてしまったことを、より一層悲嘆することである。理不尽だと思って悲観していたところに、「人間もともとそんなもんだよ」と言われても、結局のところ「理不尽」が「元来の弱さ」に姿を変えただけでマイナスなことには変わらないじゃないか、という感じ。

しかし何故だか僕が進んだのはもうひとつの、「それならまあしゃあないか」という方だった。大抵のことは思いのままにならないならまあ仕方ないし、それならいろんなことに責任を感じすぎることもないよな、とかえって気が楽になった。

 

もちろんこれは、いろんなことの責任を放棄したり、投げやりに生きたりすることではない。

一般に責任を問われるようなことには応じなければならない。それらを「元を辿れば僕の意志じゃくなくて偶然的な要素のせいだし」と拒否してしまえば、自分のうちには実質的なものは何も残らないだろうから。受動的、偶然的な要素は自分から切り離すべき外部ではなく、自分を構成するものだ。強いていうなら、気持ちのうえでは以前よりも自分のことを責めすぎるようなことはないし楽にはなっているだろう(人を慰めるときに「お前のせいじゃないよ」というセリフがよく聞かれるように、およそ人は自分を責めやすい傾向にあるのかもしれない)。

あるいは大抵のことはなるようにしかならないのだからといって何ら努力をしないわけでもない。なぜならどこまでが受動的、偶然的な要素で、どこからが能動的、意志的な要素なのかをはっきりと判別することはできないから。何かが上手くいかなかったときに「まあ仕方ない、そういうものだ」と受け入れるためには、少なくとも自分でどうにかできると思われる範疇においてはできることはやったと思えなくてはいけないから(たしか納会でした話もこんな感じだった)。

 

あとこれは少し違う話だけれど、過去のことについて実際にそうなったのであれば、それ以外のことにはなり得なかったと思っている節もある。これは根拠があるというよりも直感なのかもしれない。例えば何かが失敗したときに、「成功することもできた」というのは理論的な可能性として想像することはできるけれど、しかし現に失敗したのであれば、現実的に実現されうる可能性としては失敗しかなかったのだ、という風に。だから過去の失敗から学ぶことはあっても、「こうしておけばよかった」みたいな後悔は生じえない(なぜならそうしておくことはそのときの自分には不可能だったから)。

 

さて、こんな具合に呑気に構えるようになってからの僕が「望んで生まれたわけじゃないのに何故生きなきゃいかんのか」という問いに対してさしあたり暫定的に出した答えは以下のようになる。

第一に、それは理不尽というよりは元々そういうものとしか言えないことであって、少なくとも「理」という意味において納得できないことはない。第二に、じゃあまあ一応そういうものとして受け入れるとしても依然として残る「生まれてしまった」という重い事実にどう向き合うかと言えば、上に書いたようにとりあえずラフに構えておくということである。これくらいの気構えでいいなら、とりあえず今はまだ生きててもいいなというくらい。

もしかするといまいち釈然としない人もいるかもしれないが、僕もそうである。まあ仕方ないか、では割り切れないような状況に遭遇したことがないからこれだけ呑気でいられるというのは間違いなくある。これが現時点での限界である。

まあ仕方ないかで済ませられないことが起きたとしたら、そこでようやく僕の中で何かがスタートするのかもしれない。これだけの前提を敷いてもなお納得できないのだとすれば、それは人生を賭して戦うべきことであり、いわゆる生きがいなのだろうから。そのときにはまた問いの答えも変わってくるだろう。あるいは生き方の選択そのものが問いへの答えになるような、そんな生に肉薄した問いが残り続ける限りそれ自体が生きがいになるのかもしれない。


まあ何にせよ、そのときはそのときである。

 

 

掃除

 

ひたすらに床を拭いていた。平日の昼下がり。

一度気になったことは放っておけない質だ。大会前は部屋の掃除を怠りがちであったから、これから隅々まで綺麗にしていこうと思っていた。昼飯を食べているとき、足元の床がどうも綺麗ではないことに気がついた。これは放っておけない。

電子レンジの横に、すっかり乾燥してしまった使い捨ての掃除シートがあった。まあこれを濡らして使えばいい。

 


ひたすらに床を拭いていた。意外と手強い。

机の上に置いたパソコンから授業の音声が流れている。点数も単位も必要ないので程々に聞き流している。「我々は結局のところ利己的でしかありえないのか。」そういえば二年前の記事でそんなことを書いていた。意外と関心は一貫しているのかもしれない。

少なくとも三年半の間、僕はどこまでも僕のために頑張っていた。

 


ひたすらに床を拭いていた。なるほど、少し爪を立てると汚れが落ちる。

数日が経ったが、あのミスが何だったのか未だにわからない。恐らくわかることはない。自分らしいと言えばそうだが、そんな結末はあんまりだ。

「こうすべきだった」などと安易に言いたくはない。全力であったことに疑いはないから、そんな後出しじゃんけんは過去の自分に対して失礼極まりない。理論上ほかに為しうることがあったということは、実際にその選択を取りえたことを必ずしも意味しない。選択は何も真っさらなところから始まるのではなく、積み重なった全ての上から始まるのだから。

 


ひたすらに床を拭いていた。

汚れは落ちたが、少しだけ爪の痕がついてしまった。報われない。

しかし汚れてクシャクシャになった3、4枚のシートを見て、悪い気はしないのだった。

「この論点はこれぐらいにして、次にいきましょうか。」

終わりそうで終わらない。まだ続いている。

春から梅雨にカケて

 

五月晴れ。

不意に見上げた空が青かったときの高揚は、「心地よい」などといった穏やかな形容からは程遠く、血がたぎるような喜びというのが相応しい。浮かれ気分で路傍に咲くタンポポに声をあげると、隣にいた友人に「小学生か」と笑われ、なるほどそういうものかと心得る。しかしそれにしても大学のキャンパスには色々な植物があるし、木はでかすぎて笑いそうになる。

こうして書いてみると嘘のようだが本当に誇張ではなくて、 家に籠りがちな日常とのコントラストでそうなってしまうのである。

五月に照らされる自分がいる限り、それを写しとる影もまた避け難くあるわけで、春の高揚は根底にある渇きを表裏一体に証立てる。

しかしそれを端的に悪として押し込めたくはないという話。

 


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元飼い犬が夢に出てきた日はどう頑張っても調子が出ない。寂しさなのか悲しさなのか、あるいは後悔や自責なのか、自分の中を探ることさえ恐ろしい。数えてみれば2年が経とうとしている。

形見はずっと机に置いてあるし、ツイッターでもラインでもアイコンは黒柴のままだ。毎日欠かすことなく目にしている。それは実のところ、忘れられないという気持ちよりも、それをやめてしまうことが何かに背くことを意味するのではないかという恐れであるのかもしれない。いや、たしかに愛しいからなのだが。しかしそれでいて家族がする犬の話は苦しく、帰省しても線香をあげることができない。そこには直視できない何かがある。

それは説明することが難しい。そこに何か言葉を充てがえば、むしろそのことが現実の方を歪めてしまうように思う。何でも明晰に言語化できるというのは人間の、あるいは言語の驕りに違いない。言葉にすることで心の整理がつくということはたしかにしばしばあるけれど、全てがそうではないしそれは何らかの能力の欠如を意味しない。それは単に現在という一点の心情などではなく、十年越しの蓄積であり、言葉にされては堪らない歴史であるのだから。

たとえ説明できずとも、捉えどころのないものとして、たしかに自分のもとに在る。実際それが意味のある形で折に触れて浮かび上がってくるということは、ある特定の様態を持ったものとして自分に現れているということなのだ。それをそのまま受け取るのでもいいのではないだろうか。変に言葉を充てがうくらいならば。なんだかそういう気がしてきた。「もういない」という「在り方」で、何らかの形のもとそばに居続けるのだ。

部活も卒論も院試もいろんなものが差し迫っているので、昔を思い出して調子が出ないなどと言っている暇はないのだが、自分の歴史から析出した不調を対症的に押し込められることが「健康」や「メンタルの強さ」と呼ばれるならば、そんなものクソほどつまらないなと思う。まだまだ尖りたいお年頃。 

自分自身との、あるいはそれを取り巻く世界との摩擦はあった方が好ましい。事は滑らかに運ばないけれど、摩擦のもとでこそ改めて自分の輪郭が浮かび上がる。

相変わらずあり得たものがすぐ横を通りすぎて行ってしまうような日々を重ねているが、そしてそれに対してやりきれない気持ちを抱いているが、それはまさに「やりきれない」のだからやりきる必要はない。そのやりきれなさが表裏一体に証示する歴史をそのまま穢さず残したい。そこでは「やりきれない」という言葉すら安い。それは乗り越えるべき壁として表象されるべきものではなく、自分を内から形作るものに違いない。

 


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久々に熱いんだか湿っぽいんだかわからないものを書いてしまった。

春が露わにした渇きが今後どうなることやら。明日の天気すら把握していない僕に、それ以上先のことなど露ほども知られることはない。

三回忌を迎えるのは夏の真っ只中、何となくだが晴れているといいなと思う

リニューアルグランドオープンセール

昔から「冬来たりなば春遠からじ」という言葉が好きである。

ここまで書いて思い出したのだが、昔の記事の書き出しはこんなものだった。

止まない雨はないというけれど、それはただ人がそう願うというだけのことであって、例えば雨の最中に命を終えた人間からすれば、その雨は止まなかったのである。

全否定だ。そういう時期が誰にでもある。

さらに改めてこの言葉を検索にかけたところ、関連キーワードに「コロナ」と出てきた。そんな使い方をされてしまってはもう終わりである。言葉が帯びていた情趣は完全に消えた。えらく買い叩かれてしまったものだ。

ちなみにこの書き出しを選んだのは、季節として「春が来れども」「春が暮れども」願うような「春」は訪れない気がしている、といういかにも僕好みの掛け言葉が思い浮かんだからである。もれなく僕も薄ら寒い用法をする一人なのであった。

 

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こんな時世の中で最も盛り上がっているものといえば、近所のスーパーで行われているリニューアルグランドオープンセールである。それはそれは、紛うことなき祭りである。今しがたリニューアルグランドオープンセールから帰ってきた僕が言うのだから間違いない。

そのスーパーは普段から華々しいポップと絶え間ない店内放送で溢れ、いつでも祭りのような装いなのではあるが、そんな店でリニューアルグランドオープンセールが行われるとなったらもう尋常ならざる様相を呈する。近隣のイオン系列店の追随など一切許さない(あるいはイオン系列店にはそもそもそんな意思はないように思われるし、そうしたマイペースな雰囲気が好みなので普段はイオン系列を利用している)。

そもそも店の入り口からやる気が違う。建物の前の道路に商品がいくらか展開されているのは以前からそうなのだが、今回は量が違う。いろんな葉っぱの類いがずらっと横並びになっているし、アホほどイチゴが積んである。その陳列の仕方たるや、防犯意識の欠片も感じさせず、商魂一本勝負といった感じである。凄い。そこだけで20人以上の人がごった返していたように思う。僕はリニューアルグランドオープンセールプライスの新じゃがを手にとって店内に入る。

店内はリニューアルグランドオープン以前よりも少しだけ綺麗になっていたが、相変わらず商品がたくさん並んでゴチャゴチャしており、さながらドンキかヴィレヴァンのような独特の趣を感じさせる。そこに数十人体制のレジ打ちとレジ整列をする店員、各売り場で声をあげる店員、その他大勢の客。これほど多くの人々がそれぞれの生活を剥き出しにして交わる空間は、特に最近ではあまりに刺激的だ。自然と心が躍り、思わず商品に手が伸びる。僕が肉をカゴに入れる横では、別の客が別の肉を手に取っている。彼は近いうちにそれを食べるだろう。それだけのことが何故だか僕を楽しませる。なんだか上手いことできている。

海鮮コーナーでパックに詰められた海老が売られていたのだが、そのうちの何匹かはまだぴちぴちと跳ねていた。パックには「活き物」と書かれたシールが貼ってある。それだけ新鮮なものを揃えたリニューアルグランドオープンセールの熱意は感じるのだが、生きたままの「生き物」が「活き物」とされてしまう残酷さには笑ってしまった。あれを粋な洒落だと思っているなら考え直したほうがいいだろう。

続く冷凍食品コーナーでは冷凍ピザが百数十円で売られていた。さすがに安くし過ぎだろうと思ったのだが、ポップには「入荷担当者の本気」みたいなことが書いてあって、なるほど本気を出せばそうなるのかと思った。そういえば人の本気を目の当たりにしたのは久しぶりかもしれない(そうそう人は本気になるものではない)。スーパーは人の本気を感じられるよい場所である。

酒類コーナーでマイクを握り店内放送で宣伝を続けるお兄さんはとても楽しそうにしていた。それはリニューアルグランドオープンセールのお祭り騒ぎもあるのだろうが、リニューアルグランドオープンセールほど安くよい物を売っていればそれは楽しい気分にもなるのかもしれないと思った。少しだけ自分もやってみたいと感じたが、まあできないだろう。自信を持って何かをおすすめする楽しさは新歓にも通じる。今思えばあのお兄さんは実は労働にうんざりしていたのかもしれないが、それもまた新歓に通じる。

 

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そういえば以前にも買い物に行っただけの体験をブログに書いた気がする。相変わらずそんなことが刺激になる悲しい生活を送っているのかもしれない。まあそんなことはどうでもいいのだが。


宣言が伸びたら嫌ですね。体育館の予約を取ってはキャンセルというのをしばらく繰り返していますが、なんだか穴を掘っては埋めさせられるのと似てませんか?似てません。

会わない期間が長引くと人を遊びに誘うのにもビビってしまうのですが、僕はあまんぐあすがやりたいです。

正月のピクニック

正月が終わろうとしていた。今年は諸事情から東京の家に一人でいた。それらしいことは何もしていなかったし、何も感じていなかった。

大した料理はない。はがきは書いていないし届いていない。せめて雰囲気だけでもと思いつけたテレビは、広告を飛ばせないことに気がついてから5分と経たずに消してしまった。

いくらかの事務作業を片付け、思い出したようにドイツ語の単語帳を目でなぞり、積んである本を読み進めたところで48時間が過ぎた。


ピクニックに出かけることにした。

それも深夜のピクニック

特に理由はなかったが、そうと決めたら迷いはなかった。行き先は最寄駅の高架を眺められる階段。これもすぐに決まった。遠出するのは面倒だし、近所に座れる場所なんて階段くらいしかないから。人通りのない時間に行けば迷惑にはならないだろう。

 

・・・


1月3日、午前3時。

夜は目を覚まし静かに最高潮。

洗面所で顔を洗う。多少の眠気はあるが心は躍っている。鏡を覗くと、どうも髪型が気に食わない。昔から自分の髪型に納得したことはないのだけど、別にこだわりがあるわけでもない。


ピクニックの醍醐味といえば目的地での食事に違いない。

しかし手軽に持っていけそうなお菓子が見当たらない。部屋中探したがどこにもない。仕方がないので専用の容器に切り餅と水を入れ、電子レンジにつっこむ。時間は1分40秒がベスト。経験則。その間にタッパー(小)にきなこと砂糖を適量入れて混ぜる。久しく使っていなかった水筒を棚から引っ張り出し、なぜか冷蔵庫に入っていた炭酸水と桃のリキュールを入れる。濃い目に作ってしまったが今日は許される。ちょうどよく電子レンジが鳴り、手際よく湯を切り、餅を転がす。リュックに詰めて、準備完了。


玄関を出るといよいよ胸が高鳴った。

不埒、不摂生の大行進。僕の後ろには1分40秒で実現するささやかな幸せがついて来ている。遠足に出かける少年のように、あるいは世間への反抗を叫び練り歩く青年のように。「意味」を脱した21歳の足取りは勇ましい。


寒くないと自分に言い聞かせるうちに寒くなくなった。思っていた通り、相変わらずこの街は夜でも明るく人はいる。カラオケから半袖の若い男が一人で出てきた。マックは閉まっていたが建物の電気は1階から3階まで全部ついていた。楽器を背負って歩く4人組が楽しげに話していた。


それら全てと関わってみたかったが、そんな時間はない。餅が冷める。歩を進める。

出発から2分、目的地到着。

誰かいるかもしれないと思っていたが付近に人の姿はなかった。ときたま遠くから酔いどれの咆哮が聞こえるくらい。ちょうどいい。


階段の一番上に座るとちょうど目線の高さに線路が走っていた。高架下ならぬ、高架横。明日にはこれに沿って朝練に向かうのだろう。冷たく、固く、厳然たる佇まい。でかい建築物を間近で眺めるのが好きであることに最近気がついたのだが、きっと自分ではどうにもできないところに惹かれるのだろう。それを前にしては、自分が変わることでしか関係は変わらない。


正月の暗がりに浮かび上がるきなこ餅。艶。

餅を食べようとして気がついたが、この状況なら堂々とマスクを外せる。たまらず深呼吸をすると、肺で直に冬を感じる。今やこうして外で直接空気を吸い込むことにすら、道徳に背く喜びを覚える。お手軽な高揚感。幸せの国。


少しいそいそと餅を食べた。さすがに階段に座ってタッパーを手に持っていることへの恥じらいを無視できなかった。

しかし本物の背徳は水筒に注がれた酒にある。これほど著しく品性を欠いたお酒の飲み方をしたことがない。しかもはたから見れば何を飲んでいるかなんてわからない。最強。

一口飲むたび、反道徳の味に視界が痺れる。

 

・・・


特に何をするでもなく、何が起きるわけでもなく、家に帰り着いたときには5時になっていた。風呂に浸かると最高に温まった。またこの槽に戻された。


前から少し憧れていた。平日のまだ日も跨がない頃から高架下の地べたに座り、酒を仰ぎ談笑する人たちのあり方に。しかし到底彼らには敵いそうにない。反道徳は道徳のあるところでしか成り立たない。彼らはそもそもそうした枠組みの中にいないように思われる。僕が噛み締めた昂りは、そのまま僕の愚かさであった。


部屋を出たことには意味があった。

しばしば同じ日々の繰り返しは否定的に捉えられ、「昨日とは違う今日の自分」みたいなことが言われるわけだけど、このピクニックの中には過去も未来もなかった。そういう連関のない、ただ現在を享受するだけの時間。普段の生活では未来に向けて現在を加工していくことに慣れきって、もはやそういう考え方しかしていないこともままあるけれど、それが唯一の正解ではないことは言うまでもない。


自分ではどうにもできないものを前にして、どう構えるか。普段使いの時間を捨て、それでいて全てを放棄するわけでもなく。

初めてディズニーランドに行った

 

舞浜駅から歩き始めて1分も立たないうちに、通路に立つ従業員(恥ずかしいので口が裂けてもキャストとは呼べない)の姿が見えてきた。入場ゲートはまだ先の方だと言うのに、さすがディズニーである。

従業員はしきりに「ディズニーランドへお越しの方は通路の右側をご通行ください」と言っていた。左側を歩く人間はどこに連れていかれるのだろう、と怯えているうちに入場ゲートに着いた。駅からとても近い。これがディズニーの本気である。

入場人数が制限されているらしく、以前ディズニーシーに行ったときよりも人が少なかった。混みすぎていると疲れてしまうし、空きすぎていると寂しいので丁度よかった。

おかげで一日かけてほぼ全てのアトラクションで遊ぶことができた。案の定どれも完成度が高く、とても楽しめたので「やっぱりよくできているなあ」と感嘆していると、「そういう視点ではダメ、もっと没入しなければ」みたいなことを言われた。たしかに。

 


イッツ・ア・スモールワールドでは、屋内の水路で流される船に乗り、行く先々で歌って踊る人形たちを眺める。もちろん音楽はイッツ・ア・スモールワールドである。何かを能動的にやることはないし、ジェットコースターのような激しさはないのだが、ここで味わった感覚は最も印象に残っているかもしれない。

移動速度と音量はこの上なく適切で心地よく、それでいて底抜けた賑やかさと徹底した穏やかさが両立しており、その感覚は夢か現かで言えば間違いなく夢である。しかもしばらくするとその感覚は反転し、度を超えた健全さが段々と滑稽に感じられ始め、終いには恐れにまで転じる。「死後の世界に運ばれていくときってこんな感じなんだろうな」みたいなことをぼんやりと考えていた。誇張ではなく本当にこんな感じなのだからディズニーはすごい。

 

 

ウエスタンリバー鉄道は本物の蒸気機関車らしい。すごい。乗車中はおじさんが軽快に喋る音声を聞きながら景色を眺めて楽しむ。

園内の客が行き交う場所の通りがけに、その光景を開拓者たちの街に見立てたナレーションが流れたときは、なるほどたしかにそう見えると思いえらく感心した。上手い。

ただ、車窓から見える川の対岸で小屋が燃えているシーンで、ナレーターのおじさんが「(小屋は燃えても)開拓者たちの精神が燃え尽きることはないのだよ」みたいなことを言ったときは、おい待てと思った。絶対それを言いたいがために、そのためだけにあの小屋を燃やしただろ。だってあんなの燃えてなくたっていいんだから。ひどい話だ。

 


スプラッシュマウンテンは文字通り山の高い所から船で降下して水しぶきをあげるアトラクションである。序盤は優雅に船に揺られ、各所に配置されたキャラクターが喋る姿を見ていた。どうやらストーリーが存在するらしく、うさぎが主人公のようだった。セリフの所々で笑いが云々と言っていたので、笑いを追究するうさぎなのだなと心得た。そんなときにいかにも船が降下しそうな場所に到達し、まあまあ身構えていたところ、次の瞬間にはそれがフェイクであり、小さく降下しただけであることを知った。その先に現れるキャラクター達は妙に声をあげて笑っており、どう考えてもフェイクに引っかかった僕を嘲っていた。うさぎが追究する笑いはそんな類のものなのか?といくらか心の中で反発していると、同じようなフェイクが2回続いたので「天丼かい」と思った。やはりうさぎは一応笑いを追究しているらしい。

そんな流れも終わり、ようやっと本当に高い所から落ちた(楽しい)。全てが終わった今、うさぎは一体何を言うのだろうと思って心待ちにしていたのだが、流れた先で現れた鳥のキャラクターがどう見てもセサミストリートビッグバード(黄色くてデカい鳥)だったのでそれどころではなくなった。あれは誰もツッコマないのか??あるいはツッコメないのか。

 


他にもいろいろと巡ったが書ききれない。凡そ「おお」「うわ」「スティッチかわいい」「これ木製じゃん」みたいな感想をその都度浮かべながら楽しんでいた。

 


ディズニーはいいねというだけの話。

撃たれた話

スーパーで買い物をしたあと、ダイソーに向かった。揚げ物に使った油を吸い取ってくれる、分厚いティッシュのようなアレが欲しかったから。なぜかアレはスーパーでは売られていない。油と一緒に売ればいいだろうに。世の中狂っているなと思うのはこういうときだ。

ダイソーの入り口の手前には、消毒液と女性の店員さんが仲睦まじげに並んでいた。よほど消毒を徹底したいのだろう。反抗する気もないので、声をかけられる前に消毒液のボトルに手をのばし、押し出した液を丁寧に手に馴染ませた。消毒液の横には何やら注意書きのようなものが置かれていたが、裸眼だったのでよく見えなかった。まあきっと、頼むから消毒をしてくれみたいなことが書かれていたのだろうと思う。

消毒を終えて歩き出そうとしたとき、そばに立っていた店員さんと目が合った。何かを言われた気がしたが聞き取れなかった。ほんの一言だったし、大したことは言っていまいと思って曖昧な会釈をしながら通り過ぎようとしたとき、こめかみに何かを突きつけられた。

 

短く電子音が鳴ったあと、

「いいですよ」という声がした。

 

ダイソーには何故か、以前はあったはずのアレが売られていなかった。仕方がないのでシンク用のスポンジだけ買って店を出た。入り口にはあの店員さんがまだ立っていたのだろうか、覚えていない。わざと見ないようにして歩いたのかもしれない。

 

検温をされたのだなと気づいたのは家に着いてからだった。そういう類の体温計に触れたことがある人ならばすぐに理解したのかもしれないが、無識の人間にとってあれは凶器でありえた。なにしろこめかみに物をあてがわれたのだ。普通に生きていたら、こめかみなんてツボを押すか撃ち抜くかの二択しかない。あの注意書きには「消毒しない人間は店員が【消毒】します」みたいなことが書かれていたのかもしれないし、店員さんの一言は僕に命の選択を迫っていたのかもしれない。いや、たしかに僕はきちんと消毒をしていたわけだけど、人の目なんて正常か節穴かの二択しかないのだから悪い方を引いていてもおかしくはない。


以上の文章は、帰宅後、手洗いうがいをしたのち野菜などを冷蔵庫に詰め込み、息をつく間もなく書き出したものである。それぐらいあのときの僕にとっては刺激的な体験だったのだが、冷静に読み返すとただただ無知な人間が無用に騒いでいるだけだ。二十歳も終わろうとするころなのに。

僕の人生の全体がそうであったら面白いなと思うし、あるいはあのときあの場所で終わる人生も悪くはなかったなと思う。